
こんばんは、めぐるんつぃです。
タイトルの件について考えたので記事にしました。Twitterに載せるつもりでしたが長いのでブログに載せます。
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なぜ将棋を「指す」というのかについて大真面目に考えたところ、現時点の結論としては「将棋は対局者が駒(兵士)に指令を出すゲームだから」説が有力と思います。
よくある「指す」の説は、駒が敵玉を目指して動くからそのベクトルを「指す」で表現してる説(ベクトル説)です。
ただこれは駒は対局の中で前も後ろも斜めも縦横無尽に動くことを踏まえるとしっくりこない感じがします。
ここで脱線して「指す」の用例を考えると
○将棋を指す
○中飛車を指す
○5二飛と指す
×飛車を5二に指す(動かす)
と「指す」が使えない場合もある。この違いが生じる理由は何でしょうか?
この違いの理由は「対局者の意思(指示)が結果に反映されているか」だと思います。
この視点で考えてみましょう。
まず「将棋を指す」は将棋は駒に指令を出すゲームだから、対局を通して対局者の意思は反映されるので○です。
余談:将棋の「将」には「統率する」や「支持をする」という意味がすであるので「将棋を指す」は重言になっている?
次に「中飛車を指す」は中飛車という戦法を指したい対局者の意思の表れなので○です。
次に「5二飛と指す」も飛車を5二に動かしたい意思の表れなので○です。
じゃあ「飛車を5二に指す」はなぜ×なのか?上の3つの用例とは何が違うでしょう?
~お詫び~
大変申し訳ございません。「飛車を5二に指す」がダメな理由を1時間くらい考えたんですがよくわかりませんでした。
「飛車」と「5二」という2つの物理的視点があるので対局者の意思が入らない云々とか思ったんですが、自分のアタマではうまく説明できません。
(誰か言語学に詳しい人教えてください)
長くなったのでまとめるとまあ、「将棋を打つ」も強ち間違いではないけど、慣用表現とより将棋の特徴を捉えている点では「指す」の方が良いと思います。
余談:
自分の説だと駒を打つ手も明らかに対局者の意思が反映されてるのだから、「81に飛車を指す(打つ)」も成立するんじゃないの?と思ったんですが、そこは囲碁の感覚(盤外から石を持ってくる感じ)が将棋にも反映されて「指す」じゃなくて「打つ」になったのではないでしょうか。
タイトルの件について考えたので記事にしました。Twitterに載せるつもりでしたが長いのでブログに載せます。
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なぜ将棋を「指す」というのかについて大真面目に考えたところ、現時点の結論としては「将棋は対局者が駒(兵士)に指令を出すゲームだから」説が有力と思います。
よくある「指す」の説は、駒が敵玉を目指して動くからそのベクトルを「指す」で表現してる説(ベクトル説)です。
ただこれは駒は対局の中で前も後ろも斜めも縦横無尽に動くことを踏まえるとしっくりこない感じがします。
ここで脱線して「指す」の用例を考えると
○将棋を指す
○中飛車を指す
○5二飛と指す
×飛車を5二に指す(動かす)
と「指す」が使えない場合もある。この違いが生じる理由は何でしょうか?
この違いの理由は「対局者の意思(指示)が結果に反映されているか」だと思います。
この視点で考えてみましょう。
まず「将棋を指す」は将棋は駒に指令を出すゲームだから、対局を通して対局者の意思は反映されるので○です。
余談:将棋の「将」には「統率する」や「支持をする」という意味がすであるので「将棋を指す」は重言になっている?
次に「中飛車を指す」は中飛車という戦法を指したい対局者の意思の表れなので○です。
次に「5二飛と指す」も飛車を5二に動かしたい意思の表れなので○です。
じゃあ「飛車を5二に指す」はなぜ×なのか?上の3つの用例とは何が違うでしょう?
~お詫び~
大変申し訳ございません。「飛車を5二に指す」がダメな理由を1時間くらい考えたんですがよくわかりませんでした。
「飛車」と「5二」という2つの物理的視点があるので対局者の意思が入らない云々とか思ったんですが、自分のアタマではうまく説明できません。
(誰か言語学に詳しい人教えてください)
長くなったのでまとめるとまあ、「将棋を打つ」も強ち間違いではないけど、慣用表現とより将棋の特徴を捉えている点では「指す」の方が良いと思います。
余談:
自分の説だと駒を打つ手も明らかに対局者の意思が反映されてるのだから、「81に飛車を指す(打つ)」も成立するんじゃないの?と思ったんですが、そこは囲碁の感覚(盤外から石を持ってくる感じ)が将棋にも反映されて「指す」じゃなくて「打つ」になったのではないでしょうか。
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